立川の商店街の魅力と役割
伊藤立川の商店街の魅力って、大型店との共存だと思うんです。昭和22年から伊勢丹があって、その頃からずっと大型店と商店街が共存してきた。
栗原そうですね。駅前には大型店があって、近隣には昔ながらの商店街もある。
北島あとやっぱり、商店街の魅力ってとなり同士が近いこと。今は区画整理されて綺麗になった 分、昔に比べると肩が触れ合う感じがなくて少し寂しいですね。
伊藤たしかに。うちも北口の駅前でお店をやっていた頃、向かいの店主に通りをへだてて「今夜、暇?」なんてサインを出してたなあ(笑)。
北島ただ、新しいお店が増えて 若い人たちが元気なのは、すごくいいなって感じます。
栗原うちの高松町商店街は、そういう意味では今もおとなりさんの顔が見える商店街なのかなと。ただどうしても高齢化などでお店をたたむところも出てきているので、この先10年20年を見通した際の課題はあります。
伊藤立川に限らず全国的に重 要な課題ですね。住んでいる方も高齢になってきて「買い物難民」のような問題も生じている今の時代こそ、商店街が必要だと思うんです。だけど個店だけではなかなか難しいので、連携してやっていくことが大切。
栗原店を営む側からすると、商店街という連合体はまさにマンパワーで、販売促進にもつながるありがたい存在なんです。
北島反対に自分が消費者の立場になっても、活気があって仲が良さそうな雰囲気の商店街は魅力的だし、利用したくなりますよね。
商店街と人とのつながり
栗原うちは「高松トコちゃん市」をはじめ、家族連れで参加できる地元のお祭りを大事にしています。近隣型の商店街なので、商店街の役員が自治会の役員も兼ねていることが多く、防災訓練などにも力を入れていますよ。
北島うちの場合、若い人たちの飲食店は夜遅いので、地域行事などに毎回出るのは正直大変だと思うんです。そこは私たちが引き受けて、その分、年に一度の「鬼うまフェス」では大いに盛り上げてもらっています。
伊藤そういう役割分担は大切ですよね。逆に駅前の商店街は、「立川バル街」や「立川あにきゃん」など、外から来る人たちに向けたイベントが多いですね。商店街全体としては、「立川つまみぐいウォーキング」が2018年に8年目を迎えて、ますます盛況です。商店街同士を結ぶイベントとして情報交換にもなるし、外からのお客さんが多く、街の活性化につながっている事例かなと。
次世代が担う商店街の未来に向けて
伊藤いま商連が力を入れているのは、空き店舗対策。各商店街が魅力を発揮して元気になってもらえるよう働きかけたいと思っています。
栗原お店が空いてもすぐに新しい人が入ってくるのは、商店街ひいては立川という街の魅力があるからだと思うんです。それは昔から先輩たちが築き上げてきたものだし、そうやって次の世代につなげていくことも商店街の役割ですよね。
北島新しい人たちが馴染めるよう、これからも努力や工夫は重ねていきたいし、私個人としては、いずれ新しい人たちにも理事を任せられるようになりたい。それは信頼関係の上に成り立つものですから。
伊藤そう、商店街をやっていく上でいちばん大切なのは人との信頼関係。その基本は「家族」だと私は思うんです。家族っていうのは共同体の根本であり、企業とは違う商店街の在り方に通じる。そして心地よい関係というのは常に作り続けていくもので…そもそも立川がこんなに発展しているのも、新しいものを柔軟に受け入れて変わり続けているからではないかなと。
栗原たしかに立川という街は、陸軍飛行第五戦隊がやってきた時代から、新しいものを拒まない気質があるのかもしれないですね。新しいお店が出店して商売を続けるための協力や応援は惜しまないので、せっかくお店を出すなら、ぜひ立川でがんばってもらいたい。
北島私も同感です。古いものにこだわらず、より良くするために変わり続けることが大事。まずはなんでも相談してもらいたいですね。
商店街を元気にする3名の紹介
北島糀店(きたじまこうじてん)
創業大正7年(1918年)、2018年に100周年を迎えた、全国有数のこうじ専門店。昔ながらの麹蓋製法による手作りの「米こうじ」や手作り味噌を販売。
立川市商店街振興組合連合会
女性部会長
北島糀店 女将
横町屋(よこちょうや)
昭和15年(1940年)創業の米店。農家だった先々代が農産物を店頭で販売したのが商売の始まり。戦後から立川通りの「横丁の店」として米店を営む中、地域行事にも積極的に参加。
立川市商店街振興組合連合会
青年部会長
横町屋 店主
丸屋本店(まるやほんてん)
明治33年(1900年)に立川駅前に店をかまえ、2018年で創業118年を迎えた、立川きっての老舗呉服専門店。